晴耕雨読

さていきなりだが、話はマツーラの小学生時代に遡る。
当時松浦家に、カメラマンの方が取材に来た。
なんでも家族の食卓の風景を撮りたいのだという。
当時から横文字職業に、くらっときてしまう自分(馬鹿!)は
生まれてはじめて会った“カメラマン”という職業の人に
羨望のまなざし。そしてお約束のようにサインを求めた。
そこで書いてもらったのが次の言葉だ。

“晴れた日は公園でキャッチボールを
雨の日は家で本を読もう。”

この言葉は“晴耕雨読”を、小学生の自分向けに
アレンジしてくれたものだったということに
最近になって気がついた。

“晴耕雨読”は、晴れた日は畑を耕し、
雨の日は書物を読んで過ごす。
世間の煩わしさから離れて、悠々自適な生活を
おくる様子を表す言葉だ。
スローなライフスタイルが見直されている最近は、
“都市を離れて自給自足の暮らしをおくること”
というような意味で使われることも多い。

都市に暮らす我らは、この言葉の解釈をもう少し
広げちゃってもいいんじゃないかと思ってます。
自然を感じること。
四季を愛でること。
そして何より毎日を楽しむこと。
ばっくりしすぎてるけど、きっとこんなこと。
キャッチボールの例えのように
ひとりひとりの日々の楽しみを
当てはめることにしよう!

さしあたって今自分がこの言葉を
アレンジするとしたら、どんなだろう。

“晴れた日は公園でビールを
雨の日は家で「晴耕雨読」を飲もう。”

お気づきの方も多いと思いますが、「晴耕雨読」
それは我らの宴でもよく出す、お気に入りの焼酎の名前…
あぁ、でもこの文章じゃぁ、
晴れても、雨でも、飲んでばっかりだなあ。